● B会長の徒然なるコラム
その1:喝采
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飲み会のカラオケ店でマイクを掴んだ同僚は、かつて一世を風靡した橋幸夫、西郷輝彦、三田明など1960年代の歌を唄って一人陶酔しておりました。
(古いですね〜、今時の若いコが同席してたら完全無視されちゃいます)ある歌で「小雨にけむる‥」と言う詞を「こあめにけむる」と唄い、???、一瞬あたりの座が白け、続いて大爆笑。
本人は爆笑の訳が分からずキョトンとしておりました。

橋幸夫といえば「潮来笠」 潮来笠といえば橋幸夫。
彼は一気にスターへの道を駆け上り「平凡」や「明星」などの芸能雑誌の表紙を飾っていましたっけね。
(60年代にはアイドルなる言葉は無かったように思います)
とにかく彼はスターです。輝く明星なのです!。

九州の田舎街で鼻水垂らして、そこらをウロウロしていた少年にとって日曜日の午後はとっておきの時間でした。
それは、家の中で一番いい場所に鎮座するテレビの前に正座して「ロッテ歌のアルバム」を観るのが恒例だったのです。
歯切れのいい司会者に促され、スポットライトを浴びて登場する彼の歌声や立ち居振る舞いにしびれていました。
テレビに映し出される東京って、街がきれいで人が大勢居て、なんだか東京へ行けばスターに直ぐに会えるのではと幻想を抱いたものです。
暇があれば国鉄鹿児島本線A駅へ赴き、切符売り場に掲示された東京行きの時刻表と汽車賃を眺めては「いつかは東京へ行こう」と憧れ、踏み切りに佇んでは東京行きの特急列車を見送り、レールに耳を当てては遠ざかる列車の響きを聴いていたものです。

その橋幸夫ですが、後年ラジオ番組に出演して当時の暴露話を語っていました。「潮来笠」の譜面を手にしたとき彼は「しおきたがさ」と呼び、ナントも面妖な歌だと絶句したと言います。絶句したのは周りの連中だったのでは思うのですが‥。

いささか前置きが長くなっちゃいました。
くだんの同僚の歌を含めて、日本語を読み書きして理解するのは日本人でも難しいと言う例えを話したかったのです。

さてさて、管理者の好意によりコラム欄をワタクシメに割愛頂きました。今後不定期ではありますが、九州で育ち、現在は茨城に居を構えるまでの我が人生の中で、日々の事々、感じたことなどを徒然なるままに記していきたいと思うわけで、話は、表情や言葉に含まれる感情を読み取ることは難しい手段を一方的にとるわけですから、構文は、間違われて読まれることの無いよう、且つ誤解を受けぬよう、平易な構成を旨としていきます。

我が人生で、いまだ立つべきステージも見当たらず、東京に憧れていた少年は、いつしかスポットライトのなかで万来の喝采を浴びている自分を今も夢見ている少年のままです。
今後の展開に期待していただき、ご批判を受けることができましたら幸いです。