クロさん、ロビンパパでお出かけです。
コニシパーツにやってきました。
帰りにガソリンを入れて。
とっとこ急いで帰ります。
緊急の用件で出かける事になったので、ここからは昨日の夜の写真です。
さて、写真の鞄、宅配便が置いて行った箱から出て来ました。送って来たのは懐かしい人。
20年近く前に無くしたとおもってた鞄です。彼女が田舎に帰った時に事務所から運んでそのままになっていた荷物の中にあったのを、大掃除していて見つけて送ってくれた訳です。
87〜89年頃に使ってたポーターの鞄。
ポケットに当時入れたパンフが入ったままです。
当時彼女が送ってくれたカード。
良く行ってたバーベキューリブの「トニーローマ」のパンフ。
懐かしいなあ、写真上段中央のオニオンリングフライ好きだったね。
すんごく高かったけど、美味しかったステーキ「あら皮(鹿が三つの文字)」、元やんごとなき方におごってもらった。
バッグの中はシステムノートが一杯。
入ってたのは3冊、2冊はバッグの中に、1冊は別の紙袋に入ってたそうです。
他に入ってたものはこんな感じ。
懐かしい内容に思わず涙が出ちゃうよ。実に複雑な人生を送ってたからねえ、当時全体を知ってた人はほとんどいなかったからねえ。
20年前の日付。
お休みのこの日に行った場所。
打ち合わせに行ったのを覚えてるなあ。。
そのモティマハール、RedSunちゃんご存知の「村役場」の前にあったんだよ、奥さんが元客室乗務員で、もうとっくの昔になくなっちゃたお店。
当時は海岸沿いが面白いエリアになりつつあったんです。
お仕事で伺った場所がメモってあります、この近くの鈴江倉庫にもファッション系のオフィスが入ってました。ちょっとニューヨークみたいだったねえ。
並木橋付近も良く行ってた場所、これは某メーカーが出してた「紙製品のアンテナショップ」。
そこで買ったカード。当時は照明関係、文具関係のアンテナショップが並んでたこの辺り、すこし上がった同潤会アパートメントも好きだったし代官山まで歩くのが好きだった。
某大にも席があって、某社にも席があって、自分でファッション関係のお仕事もやってて、写真も撮ってて、雑誌にも関わってた頃、マメに取材してたよねえ。
古着も好きだった、今も好きだけど。当時を知ってる人は判ってるよね、あれは内緒だからね(笑)
お仕事で取材に行ったお店、自分でチェックしたお店、撮影に商品を借りに行ったお店、いろいろなお店をメモってます。
懐かしい名前が、複雑な気持。
青学脇のお店のマッチ。
まだ手書きだった頃のクレジットカードの伝票。
当時使ってたカード、なくしたと思ったので再発行してもらったんだよね、でも今出て来たけどね。
インド料理店のメニュー、渋谷のサムラートと銀座のマハラジャ、今でもインド料理が好き。
渋谷の駅前と新宿3丁目にあったポリネシアンパブのパンフ、お〜こっぱずかしい、2人で良く行ってたんだ。
サラリーマンとしてのお仕事用自作資料、真面目。
ポラロイド写真、当時の愛車。
懐かしい友達、放浪の宴会の後の写真。
送ってくれた人ではない、埼玉の友達のくれたカセット、浜省だぜ、当時も私はファンじゃなかったけど、彼女はファンだったからねえ。
お〜〜鮎川誠ですよ。
これは89年に貸したままになってた本だ、他の上げた本は返されなかったで良かった。銀座の「クール」、子供の頃には8丁目にあって、スタンディングスタイルで飲んでた大人の後ろ姿に憧れた店、7丁目に移ってから我々も大人になって(大人に見えるようになって)から行くようになったバー。クールやサンスーシー、クライスラーなどの銀座のカウンターバーが大好きだった。祖父が戦前に通ったサン・スーシー、そこから戦後に出来たクール。懐かしい銀座。
当時のTAROTカードも入ってた。
緑青が吹いちゃってるブラスのジッポー、カウンターの上を行ったり来たり、彼女の細身の煙草、友達のゴロワーズ。
片方だけのアームバンド。
いつも取材時に使ってたケントの製図用シャープペンシル。
手帳に挟まってた割れた取材用のバッジ、まだ学生だった頃(学費稼ぐのに仕事もしてました)の物。
歌舞伎町にあったヴィデオが埋め込まれたテーブルのお店、いわゆるカフェバー(おーこっぱずかしいぞ)だねえ。店名がもっと恥ずかしい、でもなぜかこれもう1枚が家にあるぞ、これ彼女の物じゃん。
房総半島のお土産のプレート、彼女の当時の部屋の鍵、キーホルダーが懐かしいなあ。
もらったちっちゃなナイフ。
本革だから黴びちゃってるけど、まだまだ使えるね。
当時渡されたメモ、見ないまま手帳のポケットに入れてたけど、これって住所と電話番号だったのね、失敗したかなあ(笑)上の名刺は当時の取引先の担当者。
自前のお仕事の関係、サラリーマンとしてのお仕事の関係、いろいろな名刺。
自前のお仕事(その2)の時のスタンプ。
もう一冊の手帳、86年に原宿にオープンしてた「ペーター佐藤」さんのギャラリーに行ってるね。
正木さんのブランド、友達が居たショップ。
RedSunちゃん見て、挿んであった地図を見ると当時の行動範囲がわかります。これは神宮前から南青山付近、夜に生息。
恵比寿から中目黒、代官山。昼間、時々夜に生息。
渋谷もね。
バブルの始まった当時の日本、今でも高いディナーのメニュー、女の子は皆贅沢でした。
いつも行ってたクリーニング店のスタンプカードも発見、貧乏な私は一生懸命働いてました。
一番大事だったのはこの2枚のエクタクロームのポジ。
懐かしい顔、突然帰って来たタイムカプセル鞄から元気に疾走してたあの頃の自分と一緒に飛び出して来た懐かしい人々の姿。あまり過去を考えない私、歳をとって元気は減ったけどいまだに同じバイクで同じ街を疾走しています。みな幸せになってると良いなあ。